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1950年代に入るとビッグバンド音楽はすたれていき、ロックンロール、ビ・バップ、ハードロック等に変わっていった。 それは音楽のスタイルだけでなく人々のダンススタイルにも影響をおよぼし、ビッグバンドをバックにダンスをしていた人々を当惑させた、とクラウドのレコーディング広報担当者だったネル・コーワンは語っていた。 その頃、ビッグバンドファンを集めるために全米規模のビッグバンドコンテストが行なわれた。
“The Best New Band In America Contest”と名付けられたコンテストはニューヨークのローズランドボールルームで行なわれ、183のトップバンドが各地から集まった。“The Gordon Clan”(Clanというのはメンバーがゴードン一族由来のタータンチェックのブレザーを着ていたことから付けたバンド名)はもとよりクラウドの素晴らしい演奏は最終審査に残ると誰もが確信していた。
その時の審査員は Stan Kenton, Woody Herman など錚々たる顔ぶれだった。そして「優勝は“Gordon Clan”! 」とアナウンスされた時ファンは狂喜したそうだ。 クラウドはカタリナ諸島のアバロン・ボールルームと夏中演奏する契約を結び “Gordon Clan” は第2次世界大戦以来、有名なカジノで演奏した始めてのビッグバンドとなった。その後、バンドのスケジュールはハリウッドパラディウムにおけるコンサートの日程ですべて埋まりクラウドのバンドは大成功をおさめた。
ビッグバンドコンテストで優勝した後、バンドはすぐにワーナーブラザースと契約を結んだ。 レコーディングは通常スタジオミュージッシャンによって行なわれるが、クラウドはスタジオミュージシャンではなく長い時間かけて自分が教え、リハーサルをしたミュージシャンを使いたいと主張した。 このことは実にクラウド・ゴードン的であり彼の誠実さがよく出ている確かな決定であった。そのメンバーの中には後にボストンポップスオーケストラのメンバーとなったすばらしいプレーヤー Billy・May がいた。ゴードンバンドは西海岸から東海岸をコンサートツアーし、その南ルートはしばしば予約で一杯になった。 観客もダンサーもクラウドのゴージャスでファンシーな音楽に酔いしれた。 バンドにおける彼のリーダーシップは最高の規範となり、音楽界に偉業を残した。また、演奏の傍ら絶えず金管楽器奏者を教えていたクラウドについて「彼は偉人の1人だ」と前出のネル・コーワンは語っている。
1969年にビッグベアレイクに家族とともに引っ越した彼は自分の自家用機でロスアンジェルス、エンシノのスタジオまで教えに行っていた。その飛行時間は3,000時間にも及んだ。飛行訓練中に学んだ航空力学のWind Power と Wind Control が金管演奏における大事なポイントだという事に気がつき、その力学がその後のレッスンにおいてしばしば応用された。私自身のレッスンにおいても飛行機の翼やパワーに例えて空気の流れを分かりやすく説明してくれた事を良く覚えている。
加えて1978年に初めてサンフランシスコでブラスキャンプを行ない次にアイドルワイルド、 のちにロスアンジェルスにあるラ・シエラ大学、 そしてロマ・リンダ大学と場所が変わっていったが毎年ワークショップが行なわれた。生徒達はアメリカ全州はもとより、ヨーロッパ、日本をはじめ世界各地からも集まり ブラスキャンプは17年間続いた。 彼の業績をたたえ1992年ラ・シエラ大学は音楽博士号をクラウドに与えた。(右写真は受賞の祝賀コンサート終了後で右端がクラウド、中央が私で左はフィラデルフィアシンフォニーの元主席トランペット奏者フランク・キャデラベック)
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