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RIP.Gordon Goodwin

  • 執筆者の写真: Masashi Sugiyama
    Masashi Sugiyama
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

Gordon Goodwinが亡くなって数日経つが、自分にとって喪失感が半端でない。

彼の楽曲は自身のビッグバンドS18はもちろん、指導していた中高生ビッグバンド"Groovy Encounter"でも多数演奏して来た。演奏や指導を通して感じることは、グッドウィンの譜面は難易度に反比例して演奏し易く音楽を楽しむことが出来る。これはグッドウィンのアレンジ能力がいかに素晴らしいかによるところが大きく、一般に言われる『本当に優秀な人達は難しいことをシンプルに説明することが出来る』に通じるものがあると感じている。

前出のGroovyの子供達もグッドウィンの楽曲が大好きだった。そのメンバーのほとんどが学校では吹奏楽部に所属していたので、定演で“Mama Llama Samba”をやってみよう!という話になった。問題は吹奏楽アレンジにすることだったが、その時日本ツアー中のウェインに相談してみたところ、彼は「大丈夫、大丈夫!ゴードンには話しておくよ!」とこちらがびっくりするほど話は簡単だった。ビッグバンド譜を吹奏楽にアレンジする作業は手間がかかったが、その甲斐あってMama Llama Samba吹奏楽版は大好評だった。

記憶は曖昧だが、グッドウィンに初めて会ったのは2005年にカリフォルニア州ロングビーチで開催されたIAJE。この時はBob Florence, Bill Holman, Frank Mantoothをはじめとする名だたるビングバンドが一堂に会した年で、初めて生で聴いたBig Phat Bandの人気や演奏熱量は凄まじいものがあった。その後日本でも何回も聴く機会があったが、あの時の感動には程遠かった。次に会ったのはNYでのIAJE。この時は「ビッグバンド経営は難しいよね!」とお互いを労いながら話した。ちょうどGordon Goodwin's Big Phat Bandの名前が刻まれた鉛筆を参加者に配っていた時で、私にも1本くれたが「指導している子供達にもあげたいので30本!」と伝えたら一瞬びっくりした顔を見せたが快く大量にくれた。それを今でも大事に持っていてくれる当時のメンバーがいることは嬉しい限りだ。

その後はBlue Note Tokyoでの来日公演のたび、そして尚美ミュージックカレッジで行われたPhat Camp。再会した時に、吹奏楽アレンジしたMama Llama Sambaは大好評だったことを伝えると「サックス12本、トランペット2本にしたかい?」といきなりジョークを飛ばされた。この時グッドウィンのズボンのジッパーが全開だったので「それは新しいカリフォルニアファッションかい?」とジョークを返し二人で大爆笑。この時は娘が通訳を務めたこともあり、グッドウィンとの思い出は尽きることがない。

ネスティコを心からリスペクトしていると語っていたグッドウィンの ビッグバンド愛が随所に感じられる彼の楽曲は、ネスティコの楽曲がそうであるように、今後もビッグバンド愛好家や演奏家に奏でられて行くと信じている。

Blue Note Tokyo公演後のバーでのひと時 左よりWayne Bergeron, 1人おいてGordon Goodwin, Sal Lozano, Eric Marienthal
Blue Note Tokyo公演後のバーでのひと時 左よりWayne Bergeron, 1人おいてGordon Goodwin, Sal Lozano, Eric Marienthal

RIP. Gordon Goodwin

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